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Tokyo Disney SEA

2015年9月8日 火曜日

平成26年12月6日(土)、7日(日)にかけて、家族5人で東京ディズニーシーに行って参りました。次女が平成27年3月に結婚するので,最後の家族だけの旅行です。当日は早朝に自宅を出発、9時過ぎに東京ディズニーシーに到着し、浜松から出発した長男と合流。長女が入園後すくさま、専用のガイドさんが好きなアトラクションの体験やショー鑑賞などを希望にあわせてパークを案内してくれる「プレミアムツアー」を申し込んだので、午後からのプレミアムツアーまで、地図を片手に探検しました。 

 

  水で描いたミッキーの絵

午後からガイドさんが、秘密のルートでご案内してくれました。
 

ガイドさんのお勧めのスポットで撮影です。
 

夜の東京ディズニーシーは、別世界でした。

ガイドさん、ありがとうございました。左端のお姉さんです。

 

都市対抗野球大会

2013年8月13日 火曜日

第84回都市対抗野球大会が7月12日より東京ドームで開催されましたので、応援に行ってきました。都市対抗野球は社会人にとって高校野球の甲子園にあたるもので、前年優勝チームと12の地域から予選を勝ち抜いた32チームで行われます。

       

試合は7月16日のヤマハ対JR九州です。

  

  

試合は2対1のヤマハの勝利。息子の圭悟は5番DHで3打数1安打でした。

   

 試合後は東京スカイツリーへ行ってきました。全高634m、軒高(塔本体の屋上の高さ)497mは2012年完成時点で自立式鉄塔としてはキエフテレビタワーの385mを上回る世界第1位。現存する電波塔としてはKVLY-TV塔の628.8mを上回る世界第1位。2011年11月17日世界一高いタワーとしてギネス世界記録の認定を受けています。
  
約30分並び入場券2,000円を購入し、エレベーターで350mの高さにある第1展望台へ。右上の写真が分速600mで約50秒間かかったエレベーターの中です。第1展望台到着後すぐに、1,000円で450mの高さにある第2展望台へ行きました。

  

下を眺めていると
  なんと、e太君 でした。

 

 

 

富士山-挑戦者たち

2013年8月12日 月曜日

 昨年登頂できなかった富士山へ、再挑戦いたしました。それを、「NHK プレジェクトX」風でご報告いたします。

  富士山は標高3,776 m、日本最高峰の独立峰で、その優美な風貌は日本国内のみならず日本国外でも日本の象徴として広く知られている。2013年(平成25年)6月22日世界文化遺産に登録された。

  昨年8月4日、江上、中田、谷口そして萩原四人で富士山をめざした。それは「死ぬまでに一度は行ってみたい。今しかない」と軽いノリだった。怖いもの知らずの山素人であったが、中田と谷口は頂(いただき)でご来光を見ることができた。しかし江上と萩原は8合目の山小屋へ収容された。江上は体力の低下で萩原は高山病だった。二人とも挫折を味わった。

  今回の挑戦はその挫折から始まった。
萩原の頭の中には、NHKプロジェクトXの主題歌である中島みゆきの「地上の星」
  ♪ 風のなかのすばる 砂のなかの銀河 みんな何処へ行った 見送られることもなく・・♪
が流れていた。今度こそ登頂できるものと思った。

   

  今年の挑戦は8月2日に決まった。しかし昨年の弾丸登山を反省し、前日の1日に麓の富士宮に泊まることにした。その晩、江上と萩原は登頂を誓って祝杯をあげた。 翌朝、萩原は庇にあたる雨音で目が覚めた。大雨だった。いやな予感がした。天気予報を信じて雨具を持ってきてなかった。

  それでも二人は7時半、富士宮口5合目をめざしバスに乗った。9時到着。幸いに5合目は霧がかかっていたが曇りだった。気圧になれるため3時間の休憩をとり12時出発と決めていた。

      

  12時前、雨が降り出し、さらに霧で視界は狭くなった。出発が遅れた。萩原は売店で雨具を購入したが、既に食欲がなく昼食がとれなかった。ねむけの症状もあった。30分遅れで出発。5合目2,400mで笑顔で写真を撮った。

   

  6合目2,490mまでは予定時間通り40分で到着した。まだ順調だった。

        

   新7合目2,780mまではコースタイム1時間に対し2時間かかった。江上は数日前のギックリ腰で、足取りは重かった。萩原は高山病を恐れ、長く息を吐いてゆっくり息を吸った。 7合目3,010mまでのコースタイム50分に対し、ここも2時間かかった。相変わらず視界は悪く小雨が降り続いた。3,000mに近づく前から、萩原は吐き気の症状が出始めた。
    

  8合目3,250mをめざす途中、萩原は1回目の嘔吐を催した。頭も痛くなってきた。ここもコースタイム1時間に対し2時間かかった。そして8合目にある診療所で「高山病」と診断され、下山を勧告された。8合目に泊まっても山小屋は外より酸素濃度が低いため、一層悪くなると言われた。
 しかし翌朝には良くなるものと信じ萩原は宿泊することに決めた。9合目の山小屋に宿泊するはずだったが、江上も一緒に泊まってくれた。狭い布団を萩原に譲り看病した。山小屋でのご来光を誘ってくれたが、症状は悪化し萩原は起きることができなかった。登頂できない者が見てはならぬとも思った。

       

  江上は8合目でご来光を見た後、午前5時頂上をめざして出発した。萩原は自分の思いを江上に託した。一人となった江上は困難を極めた。ときおり腰に痛みを感じた。下山のことを考えると足がすくんだ。富士宮口頂上3,720mまで5時間半かかった。更に1時間半かけて、3,776m 富士山頂上「剣が峰」の登頂に成功した。江上はようやく昨年の悔しさをはらすことができたと思った。頂上で食べた狐うどんは、インスタントだったが格別美味かった。 

  しかし困難は続いた。岩場の多い富士宮ルートの下山は転倒の危険があり、腰に負担を抱える江上は恐れた。御殿場ルートは岩場がなく下山しやすかったが、距離が19.9kmと富士宮ルートの11.3kmに比べて8.6kmも多かった。1時に下山を始めて御殿場口新5合目に到着したのは7時半だった。霧で周りの景色は見えず、また後ろから追い越されて常に一人で恐怖と戦いながらの下山だった。

                    

  江上にとって富士山は、生死をかけたものになったが、登頂できた感動を味わった。萩原には無念さが残った。二人の挑戦は終わった。 

 

 

香港・マカオ

2013年7月1日 月曜日

昨年10月13日(土)から15日(月)にかけて、私が所属している近畿税理士会伏見支部の旅行がありました。
関西国際空港から香港に到着後 高速フェリーでマカオに移動。
   
マカオは香港から西南西へ約64km。中国広東省の珠海市とつながる半島部分、そして南方へ橋でつながるタイパ島、さらに南方へやはり橋でつながったコロアン島からなります。面積は28.6平方キロメートル、人口約52万人(2007年度)からなり、人種は95%が中華系、残りはポルトガル人やマカイエンサと呼ばれるポルトガル人との混血。400年前からポルトガル人が居留していたため西洋的な歴史的な建造物も多く、まずは媽閣廟へ。1488年に建立された、マカオ三大古廟のひとつで、大殿の円窓から阿媽様が静かに海を見つめて、航海の無事を祈念しています。
    
続いて、聖ポール天主堂跡(大三巴牌坊)へ。17世紀初頭、イタリア人宣教師によって設計されたとされ、その建築には江戸幕府からの弾圧を逃れた、日本人キリスト教徒も携わったそうです。完成当時は、東洋一壮麗な教会といわれていましたが、1835年、火災に見舞われ、ファサード(正面の壁)を残してすべて焼け落ちてしまいました。現在は、地下聖堂には展示室が置かれ様々な遺品が展示されているほか、日本人殉教者の遺骨も安置されています。
  
ポルトガル風の石畳とパステルカラーの建築物が美しいセナド広場には、ピンクやイエローのパステルカラーが美しいヨーロッパ式の建物が立ち並んでいます。
  
夕食はポルトガル料理で、ミシュランガイド2012年の2つ星店です。
    
   
2日目午後、香港へ移動して最初に向かったのはレパルス・ベイ。砂浜が続く海水浴場です。
   
香港での夕食は、2013年 ミシュランガイドで4年連続1ツ星獲得 した広東料理のレストラン「欣圖軒(ヤントーヒン)」。 北京ダックは絶品でした。
    
食後は 2階建バスに乗車。
    
  
最終日は午前中ショッピングをし、記念撮影して帰路につきました。