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富士山-挑戦者たち

2013年8月12日 月曜日

 昨年登頂できなかった富士山へ、再挑戦いたしました。それを、「NHK プレジェクトX」風でご報告いたします。

  富士山は標高3,776 m、日本最高峰の独立峰で、その優美な風貌は日本国内のみならず日本国外でも日本の象徴として広く知られている。2013年(平成25年)6月22日世界文化遺産に登録された。

  昨年8月4日、江上、中田、谷口そして萩原四人で富士山をめざした。それは「死ぬまでに一度は行ってみたい。今しかない」と軽いノリだった。怖いもの知らずの山素人であったが、中田と谷口は頂(いただき)でご来光を見ることができた。しかし江上と萩原は8合目の山小屋へ収容された。江上は体力の低下で萩原は高山病だった。二人とも挫折を味わった。

  今回の挑戦はその挫折から始まった。
萩原の頭の中には、NHKプロジェクトXの主題歌である中島みゆきの「地上の星」
  ♪ 風のなかのすばる 砂のなかの銀河 みんな何処へ行った 見送られることもなく・・♪
が流れていた。今度こそ登頂できるものと思った。

   

  今年の挑戦は8月2日に決まった。しかし昨年の弾丸登山を反省し、前日の1日に麓の富士宮に泊まることにした。その晩、江上と萩原は登頂を誓って祝杯をあげた。 翌朝、萩原は庇にあたる雨音で目が覚めた。大雨だった。いやな予感がした。天気予報を信じて雨具を持ってきてなかった。

  それでも二人は7時半、富士宮口5合目をめざしバスに乗った。9時到着。幸いに5合目は霧がかかっていたが曇りだった。気圧になれるため3時間の休憩をとり12時出発と決めていた。

      

  12時前、雨が降り出し、さらに霧で視界は狭くなった。出発が遅れた。萩原は売店で雨具を購入したが、既に食欲がなく昼食がとれなかった。ねむけの症状もあった。30分遅れで出発。5合目2,400mで笑顔で写真を撮った。

   

  6合目2,490mまでは予定時間通り40分で到着した。まだ順調だった。

        

   新7合目2,780mまではコースタイム1時間に対し2時間かかった。江上は数日前のギックリ腰で、足取りは重かった。萩原は高山病を恐れ、長く息を吐いてゆっくり息を吸った。 7合目3,010mまでのコースタイム50分に対し、ここも2時間かかった。相変わらず視界は悪く小雨が降り続いた。3,000mに近づく前から、萩原は吐き気の症状が出始めた。
    

  8合目3,250mをめざす途中、萩原は1回目の嘔吐を催した。頭も痛くなってきた。ここもコースタイム1時間に対し2時間かかった。そして8合目にある診療所で「高山病」と診断され、下山を勧告された。8合目に泊まっても山小屋は外より酸素濃度が低いため、一層悪くなると言われた。
 しかし翌朝には良くなるものと信じ萩原は宿泊することに決めた。9合目の山小屋に宿泊するはずだったが、江上も一緒に泊まってくれた。狭い布団を萩原に譲り看病した。山小屋でのご来光を誘ってくれたが、症状は悪化し萩原は起きることができなかった。登頂できない者が見てはならぬとも思った。

       

  江上は8合目でご来光を見た後、午前5時頂上をめざして出発した。萩原は自分の思いを江上に託した。一人となった江上は困難を極めた。ときおり腰に痛みを感じた。下山のことを考えると足がすくんだ。富士宮口頂上3,720mまで5時間半かかった。更に1時間半かけて、3,776m 富士山頂上「剣が峰」の登頂に成功した。江上はようやく昨年の悔しさをはらすことができたと思った。頂上で食べた狐うどんは、インスタントだったが格別美味かった。 

  しかし困難は続いた。岩場の多い富士宮ルートの下山は転倒の危険があり、腰に負担を抱える江上は恐れた。御殿場ルートは岩場がなく下山しやすかったが、距離が19.9kmと富士宮ルートの11.3kmに比べて8.6kmも多かった。1時に下山を始めて御殿場口新5合目に到着したのは7時半だった。霧で周りの景色は見えず、また後ろから追い越されて常に一人で恐怖と戦いながらの下山だった。

                    

  江上にとって富士山は、生死をかけたものになったが、登頂できた感動を味わった。萩原には無念さが残った。二人の挑戦は終わった。